キャスト紹介
イ・ヨンエの画像イ・ヨンエ(ソ・ジャングム役)徐長今(ソ・ジャングム) 声:生田智子
才色兼備の女性で積極的な性格。あらゆる困難に直面するが、強靭な意志で乗り越える。ある事情で白丁村に隠れ住む両親の下で幼少時代を過ごすが、甲子士禍(1504年の甲子の年に起こった門閥官僚が新進官僚を弾圧した事件)で父親と別れて母親とは死別する。10才で宮殿に入り、宮中で最高の料理人になろうと心血を注いで認められる。しかし、ハン尚宮の謀略によって宮殿を追われて官婢(官庁所属の召使いの女)になる。済州(チェジュ)官衙(官庁)の官婢を務めながら医術を学んで再び入宮、最高の女医となって朝鮮王朝の歴史上初めて中宗の主治医となる。彼女の名声は中宗実録にも偉大なる長今を意味する「大長今」と記されている。

李英愛(イ・ヨンエ) 1971年1月31日生まれ。
幼い頃からその端正な顔立ちで注目を集め、小学4年生のときに学習参考書の表紙モデルに抜擢。14歳で雑誌の表紙モデルとして正式デビュー。出演した化粧品CMで、透明感のある容姿から「酸素のような女性」と形容され、CMクイーンの地位を確立する。大学卒業後の1993年にテレビドラマデビュー。その後も出演作を重ね、2000年の大ヒット映画「共同警備区域JSA」でその実力を国外にも知らしめた。最新作の映画「親切なクムジャさん」では、少女から大人の女性まで多彩な演技を披露している。
チ・ジニの画像チ・ジニ(ミン・ジョンホ役)
閔政浩(ミン・ジョンホ)声:井上倫宏

漢城府の判官として勤務中、金鶏購入の件で長今に助言をしたがために死の峠をさ迷うことになる。 内禁衛の従事官になってから長今と縁が深まる。文科に合格した学者出身だが、武術に長けているため内禁衛に勤める。整った容姿の持ち主で学識も高い。早くに妻と死別して寂しさのために宿直を自ら希望したことで長今と距離が近まり、経書閣が二人の出会いの場となった。長今の聡明さと学問に対する情熱に感服、長今を助けるうちに恋心を抱くようになるが、そのために何度も危険に脅かされる。後に同副承旨として内医院の副提調になっても長今を支えるが、司憲府の弾劾を受けて罷職されて流刑にあう。

池珍煕(チ・ジニ) 1973年6月24日生まれ。
広告カメラマンから俳優へ転身という一風変わった経歴の持ち主。そのためデビューは25歳を過ぎていたが、優しげな瞳と落ち着いた大人の魅力で一躍スターダムへ。2002年には日韓共同制作ドラマ「ソナギ〜雨上がりの殺意〜」で主演米倉涼子の相手役をつとめ、日本でもファンが急増。映画出演に「H」(2002年)「六つの視線」(2003年)ほか。最新作の香港映画「Perhaps Love」では、金城武らと共演している。
ホン・リナの画像ホン・リナ(チェ・グミョン役)
崔今英(チェ・グミョン)声:山像かおり

長今と同じ時期に宮殿に入り宮女生活を共にする水刺間の女中。 長今と長い期間、一緒に過ごす。 野心が大きくて出世欲が強く、美人であることを鼻にかけた傲慢な性格。水刺間の権力者チェ尚宮の姪。身分の差があるにもかかわらず、チェ家の親戚である閔政浩に子どもの頃から想いを寄せる。長今と共に宮中最高の料理人になるために全力を尽くし、チェ家の緻密な計略の下、王の承恩を受けて淑媛(朝鮮時代に宮中に仕えた女官)になり、長今と宿命的な再会をする。長今を常に警戒して最後までライバル関係にある。

ホン・リナ 1968年2月7日生まれ。
1987年ドラマ「青い教室」でデビュー。ややゆっくり目のしゃべり方と清楚なイメージが受け、「総合病院」(1994年)「それでも愛してる」(2001年)など多くのドラマに出演。2002年にはドラマ「まっすぐに生きろ」でコミカルな役に初挑戦、それまでのイメージを覆した。本作では「(難しい)ライバル役だから引き受けた」とコメント、新しいキャラクターに意欲的なところを見せている。
イム・ホの画像イム・ホ(チュンジョン役)
中宗 声:菅生隆之
朝鮮王朝第11代王。 穏やかだが優柔不断な性格。 慈順大妃の息子で燕山君を廃位して即位した。趙光祖(チョ・グァンジョ)の起用をきっかけに改革政治を進めていた中、長今と出会って彼女の温かい性格と優れた才能に惹かれるようになる。後に長今を主治医ではなく一人の女性として愛するようになる。

林湖(イム・ホ) 1970年1月27日生まれ。
父親は時代劇作家のイム・チュン。1993年にテレビ局のオーディションに合格し、その後、数多くのテレビドラマに出演。1999年の歴史大作ドラマ「ホ・ジュン」(監督イ・ビョンフン)で一途な愛を貫く正義感あふれる士官役を演じ、一躍注目を集める。本作の次に選んだ出演作映画「非日常的な彼女」(2004年)では一転、ニュー・ハーフのショーガールを演じ、華麗(?)なイメージチェンジで話題を集めた。
チョ・ジョンウンの画像チョ・ジョンウン(子供時代のチャングム役)
徐長今(ソ・ジャングム)子供時代
 声:黒葛原未有 チョ・ジョンウン 1996年3月10日生まれ。

この「宮廷女官 チャングムの誓い」の出演で一躍注目を浴びる。その後、「アックジョンドンの宗家」をはじめ、数々のTV番組に出演。また、CMでも活躍中。
ヤン・ミギョンの画像ヤン・ミギョン(ハン尚宮 役)
ハン尚宮 声:小野洋子 ヤン・ミギョン 1961年7月25日生まれ。

'85年にドラマ「青い空」(KBS) でデビュー。その後、多くのドラマに出演し同年、KBS演技大賞新人賞など数々の賞に輝いた。女優だけではなく、執筆活動も行いエッセーも出版している。
キョン・ミリの画像キョン・ミリ(チェ尚宮 役)
チェ尚宮 声:宮寺智子 キョン:ミリ 1965年1月27日生まれ。

'84年にデビューし、以来活躍を続けている。日本でも放送された「イブのすべて」や、「噂の女」などに出演。
イム・ヒョンシクの画像イム・ヒョンシク(カン・ドック役)
カン・ドック 声:佐々木梅治 イム・ヒョンシク 1945年12月31日生まれ。

「オールイン 運命の愛」で主人公イナの育ての親チス役で知られる。コミカルで情に厚い演技には定評がある。
クム・ボラの画像クム・ボラ(カン・ドックの妻 役)
カン・ドックの妻 声:つかもと景子 クム・ボラ 1963年1月17日生まれ

'78年「水しぶき」でデビューするなり、大鐘賞新人賞を受賞。人気化粧品のモデルなどを務めた。そして、きれいな役柄から、演技の幅を広げ、豪快なおばさん役もこなすようになっている。

パク・ウネの画像パク・ウネ(イ・ヨンセン役)
イ・ヨンセン 声:八十川真由野 パク・ウネ 1978年2月21日生まれ。

大学時代にスカウトされ、モデルとなる。'98年に「LAアリラン」でTVデビュー、「チャン」で映画デビューを果たす。

主な出演者


ソ・ジャングム(徐長今):イ・ヨンエ(李英愛 声:生田智子)
幼少期:チョ・ジョンウン
水剌間女官、内医院医女、水剌間最高尚宮を経て、大長今(正三品堂上相当)となる。

ミン・ジョンホ(閔政浩):チ・ジニ(池珍煕 声:井上倫宏)
漢城府判官 従五品、内禁衛従事官 従五品、司憲府監察
正六品或いは持平 正五品、内禁衛従事官 従五品、
そして承政院同副承旨 兼 内医院副提調 正三品堂上に昇格。

チェ・グミョン(崔今英): ホン・リナ(洪利奈 声:山像かおり)
幼少期:イ・セヨン
水剌間女官、水剌間尚宮 正五品を経て、水剌間最高尚宮 正五品となる。

国王・中宗(チュンジョン 李氏朝鮮・第11代国王): 
イム・ホ(林湖・任豪・無階 声:菅生隆之



幼少期編

  • チェ・グミョン:イ・セヨン 声:永田晃子  ライバル
  • ソ・チョンス:パク・チャンファン 声:小山力也
  • チャングムの実父(内禁衛所属武官
  • パク・ミョンイ:キム・ヘソン 声:増子倭文江
  • チャングムの実母(水剌間女官
  • カン・ドック:イム・ヒョンシク 声:佐々木梅治
  • トックの妻:ナジュテク チュヒャン(春香):クム・ボラ 声:つかもと景子
  • 羅州宅(ナジュテク)”は人物の名ではなく、羅州(ナジュ)という地域から嫁いできた妻という意味。


女官編

  • ハン・ペギョン:ヤン・ミギョン 声:小野洋子  *水剌間女官、水剌間尚宮 正五品を経て、水剌間最高尚宮 正五品に昇格。
  • チェ・ソングム:キョン・ミリ 声:宮寺智子  *水剌間女官、水剌間尚宮 正五品、水剌間最高尚宮 正五品を経て、王宮提調尚宮(女官長) 正五品となる。
  • チョン・マルグム:ヨ・ウンゲ 声:寺田路恵  *水剌間最高尚宮 正五品
  • パク・ヨンシン:パク・ジョンス 声:駒塚由衣  *王宮提調尚宮(女官長) 正五品
  • チェ・パンスル:イ・ヒド 声:小川真司
  • ピルトゥ:ソ・ボムシク 声:川島得愛
  • オ・ギョモ:チョ・ギョンファン 声:村松康雄  *右議政 兼 内医院都提調 正一品
  • イ・ヨンセン:パク・ウネ 声:八十川真由野  *水剌間女官、特別尚宮 正五品、淑媛 従四品を経て、昭媛 正四品に昇格。
  • ミン・グィヨル:キム・ソイ 声:玉川紗己子  *水剌間女官、水剌間尚宮 正五品を経て、水剌間最高尚宮 正五品に昇格。
  • ノ・チャンイ:チェ・ジャヘ  声:片岡身江  *水剌間女官から水剌間尚宮 正五品になる。
  • ユン・ヨンノ:イ・イプセ  声:石塚理恵  *水剌間女官から水剌間尚宮 正五品になる。中殿(皇后。文定王后。中宗の正室。):
  • パク・ジョンスク  声:山本郁子  *無階 大妃(皇太后。慈順大妃。中宗の母)
  • オム・ユジン 声:谷育子  *無階
  • チャン長官:シン・グク 声:村田則男  *内侍院尚? 正三品堂上から内侍院尚膳 従二品に昇格。
  • ユン・マッケ:ナ・ソンギュン 声:円谷文彦  *大殿別監
  • パク・ミョンホン:イム・ムンス 声:富田耕生  *左賛成 従一品、右議政 正一品、そして左議政 正一品となる。


医女編
  • チャンドク:キム・ヨジン  声:冨永みーな  *医女
  • チョン・ウンベク:メン・サンフン 声:後藤哲夫  *内医院主簿(医務官) 従六品から内医院判官 従五品に昇格。
  • シン・イクピル:パク・ウンス 声:諸角憲一  *内医院判官(医務官) 従五品から内医院僉正(医局長) 従四品に昇格。
  • チョン・ユンス:チョン・インテク 声:石住昭彦  *内医院正(医局長) 正三品堂下
  • シンビ:ハン・ジミン 声:花村さやか  *内医院医女
  • パク・ヨリ:イ・セウン 声:山辺有紀  *内医院医女
  • チョ・チボク:チ・サンリョル 声:多田野曜平  *内医院奉事 従八品
  • 御医女(医女長):キム・ソニョン 声:丸山真奈実
  • ウンビ:イ・スンア 声:佐藤あかり *内医院医女
主題歌  オナラ(ハングルタイトル)

オナラ  作詞・作曲:イム・セヒョン

オナラ オナラ アジュオナ
カナラ カナラ アジュガナ
ナナニ タリョド モンノナニ
アニリ アニリ アニノネ
ヘイヤ ディイヤ ヘイヤナラニノ
オジド モタナ タリョガナ
この歌詞はドラマ(時代劇)の雰囲気を出そうと、三国時代の文献などを参考に、古語をベースにして創作された言葉です。そのため、解釈のための現代語訳がつけられています。

<現代語訳歌詞>
現代語訳 ハングル表記

<日本語訳>  日本語訳:張銀英 金賢珠
来てください 来てくださいと言えば、本当に来てくださるのでしょうか
行ってください 行ってくださいと言えば 本当に行ってしまわれるのでしょうか
果てしなく待てど ふれることもできず
(まるで羽があっても飛べない穴蜂のよう 愛しい気持ちを分かち合うこともできない)
いいえ いいえ だめなのですね
(愛しい人の愛は 私の気持ちだけではどうすることもできない)
ヘイヤ ディイヤ ヘイヤナラニノ
愛しい人よ 来ることができぬのならば 私を連れて行ってください


放送当初、「歌われている言葉が何語なのかすら判らない」と韓国でも話題となり、視聴者の間で歌詞の聞き取りや歌の解釈が試みられたそうです。しかし、正解を導き出せた人はほとんどいなかったとのこと。ちなみに“ヘイヤ ディイヤ ヘイヤナラニノ”の部分は、囃子言葉のようなものです。あえて意味を記せば「ああ、ああ、どうすればよいのだろう」となります。



豆知識
【第1回】 宮女の生活  第1回】 宮女の生活
最高尚宮がパク女官(キム・へソン)を叱りながら宮女の掟を教えていた(パク女官が男と内通したことについて)。パク女官(キム・へソン)を叱りながら宮女の掟を教えている最高尚宮。

朝鮮時代の宮女の生活について調べてみましょう大部分の宮女達は、王室で王と王族が暮らす上で不便がないように、宮中の全ての責任を任された存在だった。このような宮女は朝鮮時代としては珍しい‘専門職の女性’だった。
  【第2回】 尚宮
銀粧刀を買うためにチョンス(パク・チャンファン)の鍛冶屋を尋ねた尚宮。

チョンス(パク・チャンファン)の 鍛冶屋に尋ねてきた尚宮。尚宮とはどんな職業でしょうか?尚宮とは朝鮮時代に宮女達の中で一番地位が高い役職で、皇后の命を受けて出入りを統制する事まで引き受けていて、今でいうと '秘書室長'にあたる役目である。4〜13才の間に宮中に入ってきた ‘幼い女官’達は普通 20歳前後に冠礼をあげて正式な‘女官’になり、また15年くらい経つと王から正5品である‘尚宮’ の任命を受けたという。
  【第3回】 宮中の調理人
歴代の王朝時代の宮中料理は、宮中の厨房尚宮達の手から手に伝えられてきた。水刺間で料理を作るのに忙しい女官達、宮中料理は誰が作ったのでしょうか? 宮中料理の調理技能の伝授と厨房尚宮達の訓練制度を知る資料として当時の文献は特にないが、朝鮮時代の後期に実際宮中で働いていた尚宮達の口述により、詳しく知られるようになった。

朝鮮時代の最後の厨房尚宮であったハン・ヒスンから聞いた事をファン・ヘソンは「韓国の味覚」にまとめ、また尚宮だったキム・ミョンギルの口術を書いた「ナッソンジェ周辺」と、キム・ヨンスクの宮中風俗に関する著書等にも、宮中調理人に関する記録がある。
  【第4回】 宮女の一生
宮女の一生はこんなにふうに始まるといいます。

宮中女官’とは宮女をいうが…宮女の一生について調べましょう。宮中で、王の一家の世話を担当する宮中女官が宮女である。品階は、正5品である‘尚宮’から従9品である奏變宮(チュビョングン)まで10等級があり、所属部署としては至密、焼厨房、洗踏房など 7ヶ所がある。
  【第5回】 センガクシ
チャングム(チョ・ジョンウン)とヨンセンに、どの部署のセンガクシかと聞くハン尚宮(ヤン・ミギョン)。

センモリ(幼女の礼装の時髪を2つに分けて三つ編みにし、結んだ髪型)をした幼い宮女達を称する‘センガクシ’。とても幼い年齢に宮中に入った子供たちを‘アギナイン’と呼ぶ。‘アギナイン’は18〜19歳を前後に一種の成人式である冠礼をし、髪の毛を上にあげて正式に「女官」になる。冠礼をあげる前は、部署の格が高い至密、針房、?房の幼い女官だけが髪を特別にセンモリにする。それ以外の部署のアギナイン達はそのまま結ばなければならなかった。それでセンモリをした幼い宮女達を「センガクシ」と呼び、その他のアギナイン達を「カクシ」と呼んだ。
  【第6回】 宮女の服飾
普段着で宮中を出ようとするクミョン(ホン・リナ)。

普段着を着ているクミョン(ホン・リナ)。昔、宮女はどんな服を着ていたのか調べてみましょう。女官は朝晩の2交替で勤務したので、非番の時と勤務時の服飾は大きく差があった。
  【第7回】 宮女たちのヘアスタイル
宮女たちの容姿をチェックしているチェ尚宮(キョン・ミリ)。

宮女たちのヘアスタイルについて調べてみよう。規律やしきたりが厳格だった朝鮮時代の宮中生活、宮中の女性たちの人間的な欲望の抑圧は伝統的な慣例の中で誇張された論争を起こしたりした。身分や意識によって、あるいは所属する部署によって朝鮮時代の宮女のヘアスタイルはその形態が異なった。
  【第8回】 宮女の種類
菜園に行くのは、宮女としては捨てられることだというハン尚宮(ヤン・ミギョン)。宮女といっても皆同じ宮女ではないようだ。

宮女とは、一般的には尚宮と女官の意味だが、女官たちとムスリ(女官の下の職級で小間使いをする女性)・カクシミ(女官たちの家で手伝いをした女性)・房子(パンジャ:朝鮮時代に官職で手伝いをした人)・医女・ソンニムなどが含まれる。韓国の宮女の起源は三国時代以後から始まった。
 

【第9回】 宮女
契りの式を行う宮女たちの姿が見えますが…宮女は八方美人(※)?

宮女の身分は、従9品から高くは正5品までの職位を得る事が出来たので、当時の一般女性にはあこがれの職業の1つだった。当然この仕事は縁故がないと出来なかった。少なくとも尚宮の推薦がないと難しかったし、宮女になるためには身分の制限もあった。宮女は中人(チュンイン)の階級で、両班(ヤンバン)でも常人(サンイン)でもない階級の低い人の娘が多かった。このように宮女は誰でもなれるものではなく、宮女になるためにはいろいろなものを諦めないといけなかった。


いつの時代の話?(時代背景)
16世紀と聞いて、どんな世界を思い浮かべますか?西洋ではルネッサンスが花開き、羅針盤を手に大海原へ乗り出していた時代。アジアでは、中国は漢民族最後の王朝の明<注釈1>、日本では室町時代<注釈2>の末期で世にいう戦国時代と、いわゆる封建時代の真っ只中。朝鮮半島においては500余年存続した朝鮮王朝期(1392〜1910)の中期にあたる時代でした。朝鮮王朝とは1392年、李成桂(初代王太祖)が高麗(918〜1392)を倒して開いた王朝です。高麗の軍人だった李成桂は紅巾の乱で活躍し、女真人や倭寇を撃退するなど国境の脅威をなくした「強い王」として即位します。首都をソウル(漢陽)に移し、高麗の国教であった仏教を抑え、代わりに儒教をその礎としました。そして儒教<注釈3>の教えに基づく厳格な身分制度の下、王道政治をうちだし、中央集権的封建社会を確立していくのです。しかし儒教の教えとは裏腹に、宮廷内では王位継承をめぐる権力争いが絶え間なく続いていきます。やがて臣下は建国以来の功臣グループ(中央貴族)と、新興官僚グループ(地方地主)に分かれて対立、党争を繰り返すことになります。前者が後者に加えた大弾圧を「士禍」と呼び、朝鮮王朝中期に4回、起こりました。また宮廷内の権力争いに気をとられ国の守りがおろそかになったのか、16世紀に入ると再び倭寇が活性化します。効果的な対策がとられないまま、1510年には在朝日本人による反乱「三浦の乱」が起こりました。豊臣秀吉による朝鮮侵略(壬辰・丁酉倭乱)は1592〜1598年のことでした。16世紀の朝鮮王朝とは、磐石と思えたその支配体制が揺らぎ始めた時代といえます。王道政治を貫き、世に太平をもたらした第9代王成宗(在位1469〜1494)を父に持つ、異母兄弟の燕山君(在位1494〜1506)と中宗(在位1506〜1544)。ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」はこの二人の王の治世に生きる、宮廷内の女官や市井に暮らす人々を描いた歴史ドラマです。


実在のチャングム<長今>
このドラマは実在の人物「長今」をモデルに描いています。実在の長今は、朝鮮王朝第11代王中宗に仕えた女医として、「朝鮮王朝実録
<注釈4>」の「中宗実録」にその名前が記されています。しかし生没年やその生い立ち、性格などについての記載はなく、ほかの文献にも見当たりません。とはいえ正史記録である「朝鮮王朝実録」にその名前が何度となく出てくることは、長今という人物が当時非常に優れた人物で、重鎮されていたことを示しています。実録には、中宗の発言として長今の名が出てくるほか、長今が語る中宗の体調や、長今に与えられた禄高などが記載されています。1544年(中宗39年)10月26日に記された「余の体のことは女医(=長今のこと)が知っている」という中宗の発言からは、中宗が長今に寄せていた信頼の厚さがうかがえます。「大長今(=偉大なる長今)」とは中宗が長今に与えた称号です。女性であること自体がハンディになってしまう厳しい身分制度の当時、他の男性を退け王の主治医になった女性がいたことを、このドラマを通じて知って欲しかったと語るイ・ビョンフン監督。当時の医学は食物療法と密接に関係があったことから、保養食作りは医者の基本的な仕事でした。ドラマ前半、チャングムを宮廷料理人として描いたのは「保養食が上手に作れるなら、きっと料理も上手だっただろう」という監督の憶測から。長今の謎めいた生涯が、ドラマ化にあたってよりドラマティックな展開を可能にしたようです。

宮廷女官って?(階級・身分制度)
朝鮮王朝の身分制度は、少数の支配者層とその他大勢の被支配者層から成り立つピラミッド状の構造でした。すなわち王、両班、中人と、良人、賎民に分かれていました。貴族的特権階級の両班(ヤンバン)は官僚職を事実上独占、世襲する人々で、それに続く中人(チュンイン)は、科挙
<注釈5>の雑科に合格し、通訳、陰陽学、医学、音楽などの技術系官職に従事する人々を指しました。良人(ヤンイン)は常民とも言われ、その大部分は農民でした。良人にも科挙の受験資格がありましたが、納税や多様な役の負担を強いられ、勉強する余裕などありませんでした。最下層の賎民のうち、最も多くを占めたのは公私の奴婢で、最も差別をうけたのは白丁(ペクチョン)です。奴婢は、宮廷などで働く公奴婢と両班などの私人に属する私奴婢に分かれ、合わせて全人口の十〜数十%を占めていました。同じ賎民でも白丁は職業、居住地、衣服にわたるまで厳しい制限と強い差別をうけていました。王とその一族が暮らす宮殿には、多くの女官が働いていました。女官たちはそれぞれ専門職を持ち、また全員が王と婚姻関係にあるとみなされ、実質はその生涯を独身ですごしました。女官になるには、幼いうちに宮中に入り、まずは見習い<センガッシ>として仕事を始めます。その過程でさまざまな選抜を経て一人前の女官<内人:ナイン>になるのです。見習い時代を含め約30数年の年功を積み、ふさわしいと認められれば、女官の中で最も高い身分「尚宮(サングン)」の地位を与えられます。ドラマに登場する最高尚宮(チェゴサングン)は、水剌間(スラッカン)<注釈6>の女官を束ねる責任者のことで、最高尚宮の上に立ちすべての女官を統率するのが女官長、提調尚宮(チェジョサングン)でした。

独特のルックス(髪型)
ドラマを見てまず目を見張るのが、女性の髪形ではないでしょうか?当時、女性の髪形はあることを表していました。「あげ髪」「まげ髪」は既婚を表し、後ろで束ね垂らす「編髪」「束髪」は未婚を示していたのです。いずれも黒く長いことが美しさの指針でしたが、特に朝鮮王朝期中期の宮廷では編んだ髪を巻き上げて頭にめぐらす「あげ髪」の、その高さを競うようになりました。「朝鮮王朝実録」の「燕山君日記」にはあげ髪が「四方高さ一尺(約30センチ)」にまでなったと記されています。また一尺の高さにするために、つけ髪をしたとも記されています。未婚女性は後ろで束ねた髪をテンギと呼ばれるリボン状の布で結びました。テンギは既婚女性も使用しましたが、その色は年齢や用途によって分けられていました。また、当時の女性が身分を問わず持っていた装飾品に「ノリゲ」と呼ばれるものがあります。腰のあたりにつけ、上着(チョゴリ)と裳(チマ)の色彩に調和をもたらし、また短いチョゴリと長いチマのバランスを取る役割を果たしました。幼いチャングムが父からもらう「ノリゲ」には、携帯用の筆セット(墨壺)が含まれています。このように、ノリゲは単なる飾りだけでなく、香を入れた袋や護身のための粧刀(小刀)、針袋など幾つかの生活用品から構成されることもありました。次に男性を見てみましょう。お気付きでしょうか、成人男性はみな「髭」をたくわえています。これは当時、身だしなみとして当たり前のことであり、逆に「髭」がないと一人前に見てもらえないほどでした。また髪は頭上にまとめ、まげを結い冠帽をかぶります。また冠帽の下、頭髪と額の間には、はちまき状のものを巻いています。これは網巾といい、もともとは隣国の明から伝わったもので、髪が落ちてこないようまげを固定させる役割を果たしていました。

医女制度とは?
医女制度は、朝鮮王朝第3代王太宗の時代に定められました。それ以前、医師といえば男性であり、そのため女性は病気にかかっても診察を受けることなく、亡くなってしまうことが少なくありませんでした。夫以外の男性にからだを診られる、ということが道徳的に受け入れられなかったのです。これを問題視した太宗は1406年(太宗6年)、婦人の疾病の診療にあたるべく、公婢の少女数十名の教育を命じます。これが医女制度の始まりです。医女の職に婢が命じられたのは、当時、体に触れる職業は卑しいものと考えられていたためでした。彼女たちは医薬の知識や脈診、鍼灸を学び、女性の診療にあたるほか、医師の診療介助として今でいう看護師的役割も果たしました。優秀な医女は宮中の医局に属し、御医とともに王妃王女等の疾病治療に主要な役割を担いました。また、地方に派遣され、民衆の治療を行いました。しかしやがて、成宗後期から燕山君の時代には妓生(キーセン)と同一視され始めます。妓生(キーセン)とはいわゆる芸妓のこと。中宗は風紀是正のため、宴会に医女や妓生(キーセン)の招致を禁じ、さらに医女には本来の医療活動のみに専念するよう命じます。しかし一度乱れた風習が根絶することはありませんでした。ドラマの中で医女がかぶっている、黒い帽子状のもの。これは遮額(しゃがく)とも、カリマともよばれるかぶり物です。全幅2尺2寸を二重に折ってその中に厚紙を入れ、額から頭の上を覆い後ろに下げ、肩まで来るようになっています。これは医女のほか、妓生(キーセン)もかぶっていました。


<注釈1>
中国は古くから周辺諸国に大きな影響を与えていました。陸続きの朝鮮半島に興きた国々は三国時代(紀元前)の昔から、中国歴代の諸王朝との間の宗属関係の下におかれました。朝鮮王朝も例外ではなく、中国に対しては<小国が礼を持って大国に仕える>事大主義をとりました。つまり朝鮮王朝の国王は中国皇帝に認められて初めて王位が保証され、中国へ定期的に使者を送って貢ぎ物を捧げ、また中国からも賜物を受けました。

<注釈2>
1404年、朝鮮王朝と室町幕府の間に国交が樹立され、平和で友好的な善隣外交が行なわれました。日本の銅と朝鮮の綿布を中心に多くの品物が交易され、公私にわたり貿易が盛んになりました。しかし15世紀末に私貿易が廃止され、再び倭寇が活発化することになります。ちなみに、朝鮮半島の料理を代表する香辛料「唐辛子」の伝来は17世紀はじめごろといわれ、一説には壬辰・丁酉倭乱の頃に日本からもたらされたとして、その名を<倭芥子>と記している文献もあります。

<注釈3>
儒教とは、中国の孔子(前550〜前479)が唱えた教えで、社会には秩序が必要であり、その実現のためには人を思いやる心が大切だ、と説いています。社会の秩序のことを「礼」とよび、これは家父長制度を軸とする身分制度によって具現化されました。人を思いやる心は「仁」と呼び、それはまず、自分を抑え他人を思いやることを指していました。

<注釈4>
朝鮮王朝実録とは、初代太祖から第27代純宗までの約500年間の実録で全1967巻からなります。各王の事績を編年体で記し、王の死後に編纂が始まり、完成までに数年かかるのが通常でした。朝鮮王朝を知るうえで最も重要な史書です。

<注釈5>
元々は中国の試験制度。文科、武科、および専門技術官の雑科の3部門に分かれていました。文科には中国の古典と儒学に関する高い教養が必要で、事実上両班しか受験できませんでしたが、武科は身分的制約も比較的ゆるく、良人も受験できました。

<注釈6>
水剌間(スラッカン)とは王の食事を調理するところです。



歴史上の人物、事件編

成宗<ソンジョン>(1457〜1494)
朝鮮王朝第9代王(在位1469〜1494)。幼い頃より聡明で治世に長け、王道政治を貫き、朝鮮王朝の中で最も平和な時代を築いたとされる。士林派と呼ばれるの新進勢力を登用し、世祖時代の功臣が中心の勲旧派を牽制、臣下の勢力均衡を図り、王権を安定させた。また国境の脅威である女真族を討伐し、海からの脅威、倭寇には外交的懐柔策により支配、民生を安定させた。十二人の夫人との間に多くの子供を持ったが、最初の王妃である恭恵王后は夭折したため、その間に子供はなかった。

燕山君<ヨンサングン>(1476〜1506)
朝鮮王朝第10代王(在位1494〜1506)。成宗2番目の夫人ユン氏との間に生まれる。しかし生母ユン氏は廃妃され、実母の存在を知らされず成宗3番目の夫人貞顕王后を母として育つ。幼い頃より学問を好まず乱暴な性格だったと伝えられ、即位後は独裁君主として君臨、意に反する臣下を大量殺戮、一方では王宮に大勢の女性を呼び集め遊興にふけるなど、暴政をおこなった。そのため1506年、臣下の朴元宗らのクーデターによって王位を追放されることになる。朝鮮王朝の君主は死後にその治績に応じた廟号を贈られ、○祖もしくは○宗と称されるが、燕山君はその暴政から与えられておらず、王子の称号「君」のままである。

廃妃ユン氏(?〜1482)
1473年、成宗の側室に選ばれ一身にその寵愛を受ける。1474年恭恵王后が亡くなり、王妃となった。1476年世子ユン(燕山君)を産むが嫉妬深さからたびたび問題を起こし、1479年廃妃される。廃妃とは暇を出された妃のことで、その身分は庶人に下げられる。しかしユン氏はやがては国母となることから、同情・支持論も根強かった。これに危機感をもった成宗の母、仁粋大妃はユン氏にまつわる悪評を吹聴し、成宗に賜薬<死刑の一種で、王が王族や臣下に毒を与えること>を決断させたと伝えられている。1482年、賜薬により毒殺。

貞顕王后(1462〜1530)
成宗3番目の夫人で、中宗(晋城大君)の生母。燕山君の母ユン氏が廃妃され、王妃となった。1497年、慈順大妃の号を受けた。

中宗<チュンジョン>(1488〜1544)
鮮王朝第11代王(在位1506〜1544)。燕山君の異母弟。1494年、晋城大君<チンソンデグン>の号を受ける。1506年、クーデターを企む朴元宗一派に擁立され即位。即位後は燕山君の治世で荒れた国内を正そうと王道政治を打ち出すが、クーデターを率いた功臣勢力に押され、なかなか思うように政権は揮えなかった。中宗は3人の王后と7人の側室を持ち、第12代王仁宗、第13代王明宗はともに中宗の息子である。

中宗と「チマ岩の伝説」
中宗最初の妃、端敬王后慎氏は父方のおばが燕山君の妃であったことから、中宗の即位後、功臣たちは慎氏の廃位を主張、中宗もこれに従わざるを得なかった。しかし、中宗の慎氏への愛情は格別だったようで、「チマ岩の話」として今に伝えられている。廃位後実家に戻された慎氏だが、中宗は彼女に逢いたくなると、高い楼閣に上って彼女が暮らす実家の方角を眺めていたという。これを知った慎家の人々は、中宗を慰めるために、家の裏山にある岩の上に慎氏がかつてよく着けていた薄紅のチマを広げて置いた。そして中宗はそのチマを眺めながら、いとしい慎氏への想いをなだめたという。また慎氏はその後の生涯を独身で過ごし、後に復位され端敬王后との号を受けた。

文定王后(1501〜1565)
中宗3番目の夫人。第13代王明宗の生母。1515年章敬王后死去をうけ、1517年に文定王后に封じられる。1534年王世弟となる慶源大君(のちの明宗)を生む。中宗没後、世子ホが第12代王仁宗として即位するが、元来病弱だった仁宗は即位後1年も経たずに死去。異母弟である慶源大君が第13代王明宗に即位する。しかし明宗はまだ12歳であったため生母文定王后が垂簾聴政を行ない、その後8年間政治の実権を握り、王を傀儡とした。

任士洪<イム・サホン>と甲子士
王と親戚関係を持つ戚臣勢力の一人。成宗の時代には配流されていた。燕山君を利用して政権を握るべく陰謀を企み、その結果1504年の甲子士禍を引き起こした。廃妃ユン氏についての議論は成宗の遺言により禁じられていたが、任士洪はユン氏廃妃を主導した宮中勢力の一掃を狙い、燕山君に告げる。任士洪の思惑通り、燕山君は関与した人物をすべて探し出し、その家族、子孫までも処した。また、既に故人となっている関与者には墓を暴いて斬首するなど、その犠牲者の多さだけでなく刑罰の残忍さでも他に類を見ない大殺戮事件となり、「甲子士禍」と呼ばれた。任士洪は1506年のクーデターで討たれるまで、燕山君の側近として権力を揮った。

朴元宗<パク・ウォンジョン>(1467〜1510)
武官出身。一時期、燕山君の信任を得て官職を歴任するが、その過程で燕山君の怒りを買い左遷されるなど、その処遇は燕山君によって振り回されていた。朴元宗の姉は成宗の兄の後妻で、美人で知られていた人物。燕山君は自分の伯母にあたる彼女に興味を示し、宮中に呼び入れ暴行をはたらいた。そのため朴氏夫人は自決、これによって朴元宗は燕山君に対し決定的な恨みを抱くことになった。1506年、同じく燕山君により左遷されていた成希顔<ソンヒアン>の呼びかけに応じ、クーデターを成功させ、政治の主導権を握る。中宗即位4年後の1510年に死去。それと共に功臣勢力の威勢も衰えていくことになる。


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